2011.6.19 社会人5年目
父の日と、読んだ雑誌の登山特集で思い出したことがある。確か中学の時だったと思うのだが、父と二人で登山に行くことになったのだ。
父は矢鱈とやる気満々で、私まで登山靴を購入するまでに至った。それを買ったら何度も登山に行くことになるだろうから心底嫌だったのだが、嫌がれば父に怒られると思い、仕方なく従ったのだ。確かあの靴はホーキンスの靴だったと思う。
ある登山予定
不本意ながら靴を買ってもらってしまったのだから、覚悟を決めねばなるまいとは思っていたものの、やはり行きたくなくて行きたくなくて仕方がなかった。
「雨が降って中止になればいいのに。」と何度も願い、父にばれぬように逆テルテル坊主を飾ろうかと思っていた。
そうしてやってきた登山日の朝、私の願いが叶ったのか、登山は大雨で中止になった。
靴はどうなった?
その雨で父の登山熱が冷めたのか、それ以来登山の話が出ることはなく、購入した靴はその後一度も履く機会がなかった。まったく気に入らない靴だったので、部屋の出窓に置きっぱなしにしていたら、日焼けして色褪せていったのだけを覚えている。そのまま処分してしまったのか、だれかに譲ったのかは定かではない。気づいたら、いつのまにかなくなっていた。
今となっては
そんな当時のことを振り返って「行けたらよかったのになー。」と、今は思う。今だから思う。
海やプールやバーベキューや尾瀬など、父に強制連行されるイベントは、行く前は嫌で嫌で仕方なかったのだけど、行ってみると楽しくなって帰りたくなくなったものである。
だからきっと、登山も行ったらそれはそれで楽しめたんだろうなと思うのである。
考察
後年、母に聞いた話によると、父は子どもの頃に親が仕事で忙しかったため、どこにも連れて行ってもらえなかったことから、自分はいろんなところに連れて行ってあげたいという想いがあったそうなのです。
しかし、私は父と一緒にいると何かにつけ怒られるため、できる限り父と一緒にいたくないと思っており、それらの父の好意を迷惑としか思っていなかったのです。だってすぐに起こるんだものあの人!
それは父の不器用さが為せる業なのですが、そんなこと知ったこっちゃなかった当時の私としてはただの拷問としか思えなかったのです。
それでも、嫌々いったら期待値が低いからか、楽しめることが多かったんですよね。父もそういう時は「すぐに怒るまい」と我慢してくれていたのかもしれません。