結婚することも育休をとることも夢にも思わなかったあの頃

大学時代に書いていたブログ記事をリマスター及び考察しながら載せていこうと思います。恥ずかしい思い出や今より稚拙な表現等ございますが、ご容赦ください。

クリスマス・イブは祖父の命日。

2006.12.24 大学4年生

 

今日は父方の祖父の命日である。

 

young.tonymctony.com

 

 

祖父がいなくなってから

 

正直に申し上げると、今の父方の家系が好きではない。祖父がいなくなったことで何かのバランスが崩れてしまったのだろうか。最近は父方の祖母と叔父が家に来ても部屋にこもり、顔を合わせないことが多い。

 

祖父の死後、聞いた話によると祖父はとても恐い人だったらしい。しつけは厳しく、気性が荒く、怒鳴るわ、殴るわ、大酒飲みのヘビースモーカー。自分が産まれる前か、幼いときお酒と煙草が災いして重い病気にかかったらしい。

 

しかし、自分の記憶にあるのは、小柄で煙草も酒も吸わず、少し後退した生え際に少し黒さも残る白い髪、顔の皺の形がにこやかで、眼鏡でさらに優しく見えた。写真が好きで、草木を愛し、軽自動車で安全運転、ポンキッキのムックのような声とユーモアのある発言をする姿。恐さのかけらなど微塵もなかったのだ。

 

祖父との思い出

 

そんな祖父との一番の思い出は小学校高学年の時(曖昧ですが)に弟と一緒に連れて行ってもらった日光東照宮のお祭りである。

 

話の端々は覚えていないが、東照宮への道を歩く祖父の横顔と祖父の知り合いの人が焼いた300円のたこ焼きと登り坂とその日の曇り空は写真のように思い出せる。

 

祖父がたくさん話の引き出しをもっていてすごいなと感じ、僕と弟は祖父の話に聞き入っていて、いつも喧嘩していた弟とはその時ばかりは喧嘩をしなかった。

 

それだけ?と言われてしまえばこれだけなのだが、この嬉しいような楽しいような場面が一番印象に残っているのである。

 

あの頃は父より祖父の方が好きだった。今でも父と同じくらい好きだ。

 

毎年この日には思い出すのだろう。悪いことでないのが嬉しい。「ありがとう」と、祖父に向けてあまり言えなかった言葉を贈ろう。

 

考察

この頃、祖父と父はよく似ているなと思うようになってきました。父のほうがデジタルガジェットに通じているのが違うぐらい。いいおじいちゃんになりそう。

 

父は理由がどうであれ、禁煙してくれて本当に良かったと思っています。今でも吸ってたら、子どもを連れて実家に帰らなかったかもしれない。

 

「結婚や子どもが生まれたぐらいではたばこはやめられない」元喫煙者の父が現喫煙者の弟を窘めた背景

 

祖父は本当にやさしかった記憶しかなくて、怒られたこともあったけど、父のような癇癪ではなく、諫めるよな慈愛に満ちていた怒り方だったので素直に聞くことができていたような気がします。あの祖父が父のように苛烈だったとは…。と、驚いたものです。