青森帰還後の友人O
実は青森に帰った後の方が友人Oと仲良くなれた気がします。というか、一方的な尊敬の気持ちが膨らんでいきました。彼は私より大人でしたし、10年ぐらい先を生きていたのかもしれないなと思うことが年を経るごとに大きくなっていったのです。
そんな友人Oとのお話をいくつか記事にしていました。そのうちの短編をまとめてご紹介いたします。
Oサレ
2009.10.2(金) 社会人3年目
「あ、パーカー!」
友人Oは袋の中からパーカーを取り出すと、嬉々として僕に見せ付けた。
「秋だしよ。チラシ見て買うしかあるめーと思って急いでアウトレットJに買いに行ったんだよ。」
友人Oの手にしたパーカーは、いかにも友人Oが気に入りそうな、黒とグレーの大きめなチェック柄だった。
「パーカーはおしゃれアイテムなんだろ?」
そ、それは同意しかねるし、仮にそう思っていたとしても、僕の理解に苦しむ代物だったので、「ははは」と中途半端な笑いを返すしかなかった。多分、彼は青森だとファッションリーダーなんだろう。きっとそうなんだろう。
彼はそのパーカーを自慢し終えると、車のエンジンをかけた。
Oからの年賀状
2010.1.5(火) 社会人3年目
青森の元神童、友人Oに年賀状を送った。こちらの住所を教えていなかったので、1月1日には届かなかったのだが、折り返し年賀状を送ってくれたらしく、わざわざ電話までくれた。
本当に律儀な男である。
はてさて、電話までしてくれたぐらいだから、ちょいと粋なことを書いたのかなと本日届いた年賀状を見やると、
「また会える日を楽しみにしています。」
と、丁寧な字で書かれていて、思わず吹き出した。一文で笑わせてくれるとは…まさに天才である。
そして彼の綺麗な字は、心を暖かくする。
Oとモーニング
2010.9.21(火) 社会人4年目
友人Oが泊まりに来ました。私は彼のために寝床を作ったり、 タオルを差し上げたり、 食事を作ったりさせられました。
私は彼の機嫌を損ねぬよう、 細心の注意を払いました。私が寝床で横たわる彼に朝食の飲み物を問うと、 のんびりと「コーヒー」とお答えになりましたので、 私はお湯を沸かしてコーヒーを淹れました。
私は朝食にヨーグルトかゼリーを摂取するので、 友人Oにも献上しようと問うてみましたところ、 彼は「コーヒーゼリー」とお答えになりました。「なんて、コーヒーが好きな人なんでしょう!」と、私は感心してしまいました。
しかし友人Oは、朝食が完成して起き上がると コーヒーとコーヒーゼリーを目の前にして不機嫌顔で、 「なんでコーヒーとコーヒーゼリーのセットなんだよ!」 と仰いました。
驚いて私が「君がそう言ったからじゃないか」と諭したのですが、怒り心頭のご様子。どうやら彼は、寝惚け眼で適当に聞こえた言葉を反芻しただけだったようなのです。
また、朝食はマフィンサンドにしたのですが、 前回泊まりにきた時分、私が提供した目玉焼きに対し、 「俺もう、こういうのあんまり食べたくないんだよ。」 と仰ったのを覚えておりましたので、 私は自分の分だけ目玉焼きを作り、 友人Oにはベーコントマトマフィンを提供したのでした。
すると、彼は 「なんでお前のだけ目玉焼き入ってるんだよ!」 と文句を仰いました。
私は数ヶ月前の友人Oとのやり取りを覚えていた旨を彼に告げると、 「そんなこと言った覚えねーよ!目玉焼きは大好きだよ!」 とぷりぷり怒り出してしまいました。
なんたる気分屋! 私も相当な気分屋ではありますが、 彼に勝てる気がしないのです。
Oとバーに行く
2012.10.21(日) 社会人6年目
金曜日、マスク姿で現れた彼は、おやつの時間がとれないほど忙しく働いて、頻繁に腹音がするほど空腹でいる私にこう言いました。
「お前の空腹なんてしらねーよ。 東京の電車は暑すぎだよ。気持ち悪い。」
青森仕様の上着を着用した彼は、確かに体調がすぐれないように見えました。しかし、彼の体調不良は電車のせいだけではなかったのです。
前日夜から徹夜で遊び、気付いたときには新幹線の発車時刻が近づいてしまったため、睡眠を取らぬままに新幹線に乗り込んだ後に、軽い睡眠しか取れなかったそうです。
また、東京に着いた後、早速遊びに出掛けた彼は、一旦遊び終わる夕方4時まで、新幹線の中で食べたおにぎり一つからしか栄養を摂取できていなかったというのです。
空腹と胃液の異常分泌で胃の粘膜が危険にさらされている時分、彼が栄養摂取に選んだ食事は「すた丼」でした。そんなハードな物を激しい空腹時にに摂取して体調を崩さないわけありません。
「俺ももう若くないということだな。」遠い目をして呟いた彼の隣で、私は溜息をつきました。
BARへ
駅の構内から出て外気に触れると、幾分か彼の体調は良くなってきたようでした。
しかし、「そんなに量は食べたくない」と仰るため、私は「それならばBARにでも行くか」と提案したところ、彼は「BARは二軒目だ一軒目ではいけない。」と頑なに拒みました。
「体調が悪いのに二軒目の事を考えているのか!」と呆れた私を見透かすように、彼は「そういう決まりなんだよ!」と保守的な事を嘯きました。
金曜日の夜であったため、満席御礼によってあらゆるお店に断られた揚句に辿り着いた、安さ自慢の焼きおにぎりしか「あたり」が無かった大衆居酒屋的な店で、軽くアルコールを摂取した後、私たちはBARに向かいました。
以前より少々気になっていたお店に案内しようとすると、彼は「お前は行ったことない店に俺を連れてこうとしたのか!?」と謎の憤慨を露わにし、私の説明に聞く耳を持たないため、仕方なく私は一度訪問したことがあるBARに彼を案内しました。
「俺はウイスキーが好きなんだよ。」と言いながら椅子に腰かけ、神妙な顔つきでMENUを見つめた後、
「ヨーグルトパイン」
と渋い口調で注文した彼に吹き出したのは言うまでもありません。
ヨーグルトパイン
ヨーグルトパインに口を付けた彼は、途端饒舌になりました。職場での彼の活躍、手に汗握る奮闘、自画自賛のENGLISH TEACHERぶりなど、水を得た魚の如き怒涛の話っぷりでした。
彼=友人O=ヨーグルトパイン
そのような公式を頭に浮かべつつ、話の内容を右から左に聞き流し、適当な相槌のみで聞いていた私は、一瞬間その公式から一つのイコールを外し、彼=ヨーグルトパインの解を導き出しており、目の前で話し続ける彼がヨーグルトパインとしか思えなくなっておりました。
「白さ、体型ともにまさしくヨーグルトパインであるなれ!」私は心の中で快哉を叫び、彼に気付かれぬよう笑みを浮かべました。
そのすぐ後、彼はチャイナブルーを注文し、私は現実に戻されるわけですが、今思うとあの時の彼が、友人Oの本当の姿だったのかもしれないと感じているのです。
Oと鰻を
2017.5.27(土) 社会人11年目
5月某日渋谷の某鰻店にて。私は妻を連れ友人Oとひつまぶしを食べていた。
思い続けていることは実現するというが、これはまったく思いも浮かばなかったシチュエーションである。彼と大学で初めて会ったとき、このような未来を予見できたわけがない。
10年前は卒業した時点で縁が切れるものと思っていたし、まして以降数年は厭わしく思っていたことも多少はあった。
しかし、今現在の私はそれを当然のように楽しんでいたし、むしろ友人Oはその場に相応しかった。
私には友人と呼べる存在が少ないが、彼はその少ない中の一人であり、おそらくそれはこれから先も変わらないだろう。
考察
これにてブログ上に存在する友人Oとのお話はおしまいです。いっぱいありましたね。またいろんな話ができたらいいなと思いつつ、私は彼の回復を祈るばかりです。
mixiの方にもあるようなので、発掘次第載せていこうと思いますので、お楽しみに?