書評日:2011.5.10(火)
走れメロス
帰り道、昔のことを思い出し、私は激怒した。
激怒したのは冗談で、後悔した。
中学2年生の国語の授業で、以下のような題目が出題されたのである。
「メロスを走らせたものはなんだったのか?」
これを原稿用紙一枚程度で書けというものであった。「友情」というベタな答えを書くのに嫌気がさした私は、「作者(太宰)」が走らせたと、面白可笑しく記述した。
後日、返却された原稿用紙には担当教師の評点(1点~5点)が記載されるはずであったが、私の原稿用紙には「評定不能」と記されており、どのような意味かを教師に訊ねると、「評定不能=0点」と冷たくあしらわれた。
当時、私は斜に構えた文章や、物事を面白可笑しく評した文章に凝っていた。それが級友から一目置かれていたこともあり、悦に浸っていた部分があった。
それ故、この時も調子に乗って書いたのであるが、この様である。
浮かれていた鼻柱を折られた格好となり、権力に臆した私は、その夏の読書感想文の題目に「走れメロス」を選び、媚び諂った文章を書き、ご機嫌取りに終始することになった。
何故か帰り道、これを激しく後悔したのである。
この数年後、太宰に傾倒した私は、「走れメロス」が太宰の所業に起因して書かれたことを知るのである。
太宰の心情が反映され、太宰が人を信じたいがため、太宰が人に信じてほしいがためにこの作品は書かれたと思しき経緯があるのである。
つまり、私の回答はある意味で正しく、面白可笑しく書いたことは非難されさせすれ、評定不能を受けるほどに酷いものではなかったのである。
評定不能を受けたのはまあよい。
私が後悔したのは、「そうであるならば、あんなに媚び諂った感想文を書くべきではなかった。」という点である。
上記の経緯を調べ、自分の回答は正しいと、声高に主張し、必ず、かの邪智暴虐の国語教師の鼻を明かさねばならぬと決意するべきであったのである。
それをここに激しく後悔した。
しかし、なぜに今頃!?
考察
wikipediaの「創作の発端」に詳しい記述があるように、熱海での一件がこの作品が書かれた一つのきっかけであると考察されています。
国語教師の意図は作品世界内でのことにフォーカスしろということだったのでしょうが、その条件は提示されていなかったので、私の回答が「評定不能」になるのは納得できるものではないですね、今考えても。
この国語教師を私が嫌っていたことが伺い知れるエピソードです。当時はやり込めてやりたい気持ちでいっぱいだったのですが、何故かその感情が歪んで媚び諂う方向へと向かってしまったのが悲しいところです。
私もメロスのように走って国語教師の鼻を明かせばよかったのですが、私にはセリヌンティウスのような存在がおらず、再現できなかったということなのでしょう。