結婚することも育休をとることも夢にも思わなかったあの頃

大学時代に書いていたブログ記事をリマスター及び考察しながら載せていこうと思います。恥ずかしい思い出や今より稚拙な表現等ございますが、ご容赦ください。

星の王子さま / サン・テグジュペリ 著

 

書評日:2005.2.8(火)

 

 

星の王子さま

 

ご存じフランス文学。名文「大事なものは目に見えない。」

 

この話「大人のための童話」とも言われ、大人の読者から「大切なものを取り戻した。」「こんな気持ちにはもうなれないよ。」といった感想がございますが、子供が読むとどう感じるんでしょう?

 

いや、小学生の文庫になっていますけど、子供の感想がないのと、自分が初めて読んだのは去年なもので。

 

僕はこの作品を読んで泣きました。

 

王子さまは、大切なバラと離れてはじめて自分の気持ちを再確認して、バラの気持ちを考える。

 

バラは王子さまを想ってるんだけど不器用で、王子さまはそれに気付かず旅立ってしまう。

 

「ぼく」は飛行機が故障してしまって、王子さまと出会うきつねも王子さまに惹かれて大好きになる。

 

王子さまがバラの穴を埋めるまで様々な経緯をたどるわけですが、「おとな」に分類されないとおもわれる「ぼく」ときつねは最終的には王子さまを失い、喪失感という穴ができてしまうのです。

 

「おとな」は王子さまと離れたって「いつもの生活」に戻るだけですが、「ぼく」ときつねは、王子さま抜き。つまり「いつもの生活」は無くなってしまうのです。

 

「ぼく」がそれを埋める旅についてはその手がかりとして最後の章が用意されているだけで、それで終わりです。

 

この作品では「ぼく」を読者と捉えるのか、作者テグジュペリ自身と捉えるのかはたまた「ぼく」は「ぼく」と捉えるのか。

 

それによって読み方が全く違ってきます。この視点の違いが大人と子供の違いだと思います。

 

子供が読めば、「ぼくが…」という文が多いので、そのうちに作品中の「ぼく」がそのうち自分のことのように思えてくるものと思います。

 

その現象は小学校にあがる前の僕が「もりのへなそうる」を読んだときに起こりました。子供の頭の中で繰り広げられる無限の想像力は、文章からでも世界を構築し、あたかも自分がその世界にいるかのように思いこんでしまい、そのあともその世界を引きずり、「○○ごっこ」といった形で現実化していきます。

 

対して大人は、フィクション、ノンフィクションからSF、ファンタジー、サスペンス、ラブロマンスまで多岐に渡るジャンルを把握していて、その中から読む本を選択するわけですから当然、書かれている世界はその作者による架空の物、もしくは過去の出来事で、感想においても「○○さんの作品は読みごたえがある。」「このジャンルにおいて最高峰の作品。」「現実に起こりそう…。」といったものになるわけです。

 

この本が「おとな」のための童話である所以は、そういったことを翻訳者が把握したうえで、読者にゲットバックしてもらいたいということで、ひらがなを多用し「ぼくは…」という文を多用しているのだとと思われます。

 

その上で随所随所にあくまで子供向けの文体の大人向けの文の構築が見られ、そこで知らぬ間に「おとな」が、「こんなのただの童話だ」「馬鹿馬鹿しい」と思わせない作者テグジュペリの工夫がなされているのだと思われます。

 

この作品は「ぼく」もしくはきつねとなった読者が、その続きを作り上げて行くものではないでしょうか?この終わり方はそんなことを想起させます。

 

考察

もっともらしい書評を書いているなというのが第一印象。社会人になってから一度も読んでないです。子供がもう少し大きくなってから読んであげたら喜ぶのかな?