結婚することも育休をとることも夢にも思わなかったあの頃

大学時代に書いていたブログ記事をリマスター及び考察しながら載せていこうと思います。恥ずかしい思い出や今より稚拙な表現等ございますが、ご容赦ください。

父の大きな本棚から多くのことを学びました。宝の山であり精神の拠り所。

2006.7.4(火)

 

 

大きな本棚

僕の家には、大きな本棚がある(可動式奥行3層)。そこには父が購入してきた、漫画や文庫本が並んでいる。手塚治虫作品、赤川次郎作品、宮部みゆき作品、タッチ、H2、ドラゴンボール、頑張れ元気…などなど。

 

この本棚は僕の小さい頃からあった。社宅に住んでいた頃から、それはあった。

 

引っ越ししたするときは、大変だったみたいだ。本を取りだして段ボールに詰めて、それだけでも相当な量なのに、収納するこの本棚を動かすのも相当大変だったはず。

 

漫画も小説もたくさんあって、暇なときや夏休み・冬休みの大型連休のときに多くの作品を読み漁った。殆どは漫画を読むのが主ではあったけれども。

 

部屋に持ち帰って読んでもいいのだけど、ちゃんと戻しておかないときは怒られた。父の部屋の奥にあるので、取りに行くのも返しに行くのも恐いのだ。父が部屋にいないときに取りに行ったり返しに行ったりするのだけれども、本棚にいる間に父が戻ってくることもあるので、細心の注意を払い短時間で事を遂行する。

 

そのためには、返すと借りるの両方を同時遂行しては遅いのだ。自分の楽しみのために自ずと借りる方が増える。本を返すのは、かなり遅れる。ゆえに、あるタイミングで本が大量に無くなっていることに気付かれて怒られてしまう。

 

断って借りていけば良かったのだと思われるだろうが、父はいつも怒った顔をしていたし、言葉を交わすのが難しかったのだ。父の前では萎縮してしまって、上手く話せなくなるから。

 

21になった今でも読む本が無くなったときに借りる。というか、無断で貰っている。借りるのが専ら文庫小説であるのと、本が溢れて本棚に入り切らなくなっているのだから仕方ない。整理のために自分の本棚に並べてしまってもいいだろうという勝手な思い込みだけど。居場所無く積み重ねられているよりも本の方も心地いいだろうしね。

 

そうそう、漁ってると同じ本が2冊あったりする。読んでいて気づかないのかな?もしくは気づいて「しまった」なんて思っているのかな。そう考えると少し面白くある。

 

考察

私が唯一父から影響を受けた趣味は「読書」なのだと思っています。写真や車、バイク等の男らしい趣味は弟が影響を受けました。彼は煙草もかもしれない。

 

もう少しコミュニケーションを取って借りやすくしてくれれば、私は似非文学青年にならずに、本物の文学青年に慣れたと思うのですが、「たられば」は禁物でしょうか。文学作品よりも推理モノが多かったから、そもそも文学青年にはなれなかったか。

 

今は近づいてもいないので、どのぐらい本が溢れかえっているのかはわかりません。この話を読んでいたら、現在どうなってるのか少し興味が湧いてきました。子どもが大きくなったら、一緒に侵入してみようかな?