結婚することも育休をとることも夢にも思わなかったあの頃

大学時代に書いていたブログ記事をリマスター及び考察しながら載せていこうと思います。恥ずかしい思い出や今より稚拙な表現等ございますが、ご容赦ください。

御昼過迄。君たちはどう食べるか。

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2007.6.13(水) 社会人1年目

 

御昼休みになると、5、6人僕の席の傍にやってくる。彼らは、愛すべき同僚達である。毎日僕の席の傍に自らの食事を持って来て僕に趣深い話を強いる。

 

 

御昼過迄

 

人によっては羨ましがられるかもしれないが、この時間は僕にとってメランコリイを感じるほどの苦痛なのである。

 

彼らは時折僕が悪魔であると懼れを含む表情でお道化気味て話すが、僕からしてみれば彼らが悪魔なのである。

 

僕の家庭は厳粛な家庭であり、父は食事中の会話を良しとしなかった。 そのため、僕は食事中に会話をする習慣がないのである。食事の時には趣深い話などひとつも浮かんでこないのである。ゆえに、食事の時は無言でゆっくりと食事を取りたいのである。

 

これはデエトの時にも相手に伝える、僕の心からの嘆願なのである。

 

しかし、彼らは僕に趣深い話をすることを期待し、(この心からの嘆願でさえ趣深い話の一つとして取り扱われてしまった)彼らはその話を聞くという行為に於いて、僕に満足を与えようとしているのである。甚だ迷惑な話である。

 

加えて君らは君らで話せばいいのに、僕を介してしか一人一人が機能しないのは如何なものか?

 

たまには我が儘を通そうと敢えて御昼休みの端から食事に集中し黙ってみる。

 

すると、箸音と噛音だけが沈黙を支配する。限りなく深い不快である。この沈黙は僕が作ってしまったものであると罪悪感を与える彼らはやはり悪魔だと断言する。

 

結局、沈黙を崩すのは僕の役目になる。そのうち、食事中に発狂して遣ろう思っている。それも彼らには、趣深い話の一種と捉えられるのであろうが。

 

※タイトルから見て取れるように、大作家の某作品に激しく影響されております

 

考察

この同期たちはいったい何人会社に残っているのだろうか?と考えてみたところ、半分ぐらいは残っている気がします。私の勤める会社は、入社後数年は離職率が高かったのですが、ここ数年はかなり低い水準で推移しているようです。

 

同期と一緒に働く機会はほとんどなく、年に1度か下手すると何年も合わない人もいます。ゆえに、私にとって非常にどうでもいい存在ではあるのですが…。どんな成長を遂げているのか少し気になってしまいました。

 

私はよくしゃべるほうだと自覚しているのですが、あまりおしゃべりは好きではありません。できれば人と話をしたくないし、できるならゴロゴロ転がって眠っていたいほうです。それでも、しゃべらないと様々なものが衰えてしまうし、どうせしゃべるなら面白いほうがいいと思って、ガラスの仮面のように自分にまじないをかけてしゃべっているのです。