2007.12.13(木) 社会人1年目
この手紙を開いていただきまして、どうもありがとうございます。
貴方のことですから、きっと読まずに捨ててしまわれると思っていました。
さて、ここまで読んでいただいたからには何か一つ話をしなくてはいけません。いや、書き連ねると言った方がいいのでしょうか。
セルフレジ
先日、私は某スーパーのセルフレジに並んだのです。それは初めての体験でした。私の地元にもその系列のお店はありましたが、セルフレジなんて大それたものはありませんでしたから。
田舎の方がセルフレジを設置しやすいのではないかとお思いでしょう?周りは顔見知りばかりだし、万引きまがいのことはしないだろうと。でも今では、田舎の方が他人を警戒してしまうものなのですよ。
凶悪犯罪をより身近に感じさせる、テレビ番組などのメディアをそのまま信じてしまいますからね。私のお母様も「テレビでやっておりましたから」と実用性もなくセンスのおかしいものを買ってきては、とても嬉しそうな(少女のような)眩しい表情で私に見せつけるのですから(たいていそれらは『へんちくりん』でございます)。
そこで私めが根底的な質問を投げかけたり、「またそのようなものをお買いあげになって…」と呆れたような態度を取ったりすると、途端にお母様の表情が曇ってしまい、私は純粋無垢な少女にミックジャガーの卑猥な声を聞かせてしまうぐらいの罪悪感にかられてしまうので、
「お母様、素敵ですわ」
と賛同(偽り)の感情を込めて返すことにしています。私の心からの(偽りの)言葉を聞いてお母様は大喜び。
「今晩は貴方の大好きなおでんよ」などとおっしゃるのです。
おでん
おでんは私の嫌いな料理のひとつであります。かつて矢鱈とおでんが続く日があったので、おでんが嫌いな私は堪忍袋の緒が切れて憤慨いたしました。
「お母様、おでんにごはんは不相応ですわよ。」とうっかり申し上げてしまったところ、お母様の表情は忽ちのうちに曇りだして、
「私、おでんはご飯と一緒に食べないものとは思えなくてよ。」と、見るからに崩れ落ちそうな表情で精一杯の反論をなさるので、私はいたたまれなくなって、
「ごめんなさい、あまりに大好きなものが続くので…、 好きなものも毎日食べれば飽きてしまいますわね」と誤魔化して事なきを得たのです。
それ以来、私の好物はおでんになってしまったのです。それはそれで自業自得では御座いますが、ここまで自分の主張を通すことができずに、私を心苦しくさせるのは罪悪とは思いませんか?
私が実家から飛び出したのも、この生活から逃げ出したかったからというのも一つの要因なのです。
蘇る記憶
話が逸れてしまいました。ついつい思い出話に耽ってしまいました。セルフレジからとても遠いところまで筆を進めてしまったこと、お詫びいたします。
私はスーパーマーケットでアルバイトをしていたことが御座いまして、レジの腕前も叔母様方に好評で御座いました。
とはいえ昔の話で御座いますから、すっかりそのコツもバーコードの位置すらも忘れてしまったと思っていたのです。
しかし、ああいった技術というものは見に染みついているものなのですね。手が、体が、勝手に動いていくのです。それも現役時代よりも動きに無駄が無く。
その衝撃と言ったら…「スーパーマーケットの呪縛から逃れられていないのか」と、驚きおののいてしまったほどです。
その呪縛の黒々として、どろどろとした、おどろおどろしい内容については私の心の中にしまっておきます。あなたからお返事をいただけたらなら、その折にお話ししようと思います。
しばらく驚きおののいた後、私はセルフレジから去りました。
このセルフレジ、意外と人気なのですね。サラリーマン風の中年男性が次々にセルフレジでお買い物を済ませる様を見て微笑ましくなった次第です。
寒くなってきましたが、お体には気をつけてお過ごしください。あなたのこれからのご活躍、お祈りしております。
考察
太宰治氏か森見登美彦氏の著作を読んでインスパイアされたものだと思います。おそらく誰にも宛てていない手紙なのでしょう。
「おでん」に関しては実家を出て以来食べた記憶がございません。そのぐらい私は「おでん」が嫌いなのです。おいしいところで食べればおいしいのでしょうが、嫌いなものをあえて好きになろうとは思えないのです(モノによりますが)。
私のレジ技術はかなりのものでしたが、現在では全く役に立っていません。役に立ってないどころか、客として「のろのろと要領悪くやっている店員」に当たると、本当にイライラしてしまいます。「そうじゃない、そこじゃない、両手をうまく使いなさい!」と言いたくなってしまうのです…。