結婚することも育休をとることも夢にも思わなかったあの頃

大学時代に書いていたブログ記事をリマスター及び考察しながら載せていこうと思います。恥ずかしい思い出や今より稚拙な表現等ございますが、ご容赦ください。

中学の頃、私がいじめをしていると告発する留守電が入っていた話。

2006.12.22(金) 大学4年生

 

「加害者が被害者になることもある。ずっと加害者の者もいれば、ずっと被害者の者もいる。」と、誰かが言った。 

 

 

思い出

中学1年生の時の話だ。『彼』に「一緒に帰ろう」と誘われたのだが、別の友達Aくんと帰る約束をしていたので、その誘いを断ったのだ。断わった時、『彼』は私の一番嫌いな目つきで何かを呟いて去っていった。

 

中学校から家まではおよそ3キロほどあったので、私は自転車で通学をしていた。自転車通学者はヘルメットを被らなくてはいけないという校則があったのを覚えている。

 

その日は部活に入ってない時だったのか、部活が無い日だったのか、それともサボった日なのかは覚えていない。少なくとも部活を終えた帰り道ではないことは、帰宅時に親が不在だったから確かだ(両親共働きだった)。

 

『彼』のこと

『彼』とは中学の3年間を通じてクラスが一緒だった。『彼』は中学入学後1ヶ月たらずで「太っている人はいいひとである」という自分の中の公式を崩してくれた人である。

 

私は小学校を卒業したと同時に引っ越しをした。ゆえに中学校入学時は周りの皆が知らない人ばかりで、とても孤独だった。『彼』は私が「とにかく、友達を作らなくては」という思いで生活をしていたとき、たまたま何かで一緒になり、仲良くなった初期の友達の中の一人だった。

 

『彼』とは帰る方面が同じだった、何度か一緒に帰宅したこともある。そして、一緒に帰宅するたびに『彼』がイヤになっていたことも覚えている。

 

『彼』との会話は『彼』の愚痴に終始し、自分にとってあまり有意義な時間ではなかった。被害妄想も甚だしく、自分がその類の話を流そうとすると咎められるなど、話をする度にあまり感じのいいやつではないなという思いは強まった。

 

そうして段々と、彼を避けるようになっていった。その頃になると他にも友達はできてきたし、とにかく『彼』との会話が苦痛でしかなかったからである。

 

帰宅後のこと

帰宅後、『彼』から留守電(固定電話)にメッセージが入っていた。そのメッセージは以下のようなものだった。

 

「トニー君とAくんに『消えろ』と言われたので明日から登校拒否します。」

 

寒気がしたと同時に怒りもこみ上げてきた。言った覚えのない言葉を言ったことにされていたからだ。私はただ誘いを断っただけだった。

 

面倒なことになるといやなので留守電を削除せずにしておいて、親が帰ってきた際に事情を説明すると、怒らずに「変な子もいるのね。」と返してくれたのでほっとした。

 

翌日

翌日どうなるのだろうと不安になっていたのだが、『彼』は普段通り登校してきていた。僕はそれから『彼』のことを極力無視するようにした。それに対して『彼』がどんな対応をしたかは覚えていない。

 

まもなく、『彼』がクラス全体から良く思われていないことが分かった。そして避けられるようになった。「当然だ。」と思った。

 

ある事件

それから暫く経ったある日、ある事件が起きた。私は学校を休んでいたのか、たまたまそのときトイレに行っていたのかはわからないが、その場に居合わせなかった。

 

友達の話によると、『彼』が教室のベランダから飛び降りようとしたらしいのだ。Aくんに屈辱的な行為をされたことが原因らしい。

 

その後、『彼』とAくんは担任に呼び出され詳しい事情を問い質され、お叱りを受けることになったらしい。

 

当のAくんに聞いたところによると「自分はそんなに怒られなかったが、『彼』はもの凄く怒られていた」らしい。怒号が部屋の外にも響き渡るほどであったらしい。

 

そして担任の「命をもっと大切にしろ!」という言葉が印象に残ったという。

 

おわりに

1年生の時の『彼』に関する大きな思い出は以上のようなものである。『彼』は影で集団的な殴る蹴るなどの暴力を受けていたわけではなかったが、クラス全体から敬遠されており、クラスに友達はいなかったように思われる。

 

『彼』の時折見せる卑屈な目つきが印象に残っている。あの目つきを見る度、不快感と共に憎悪が襲ってきたのを思い出す。

 

あの頃の自分は、やたら正義感が強く、協調主義(八方美人ともいう)だったので『彼』を避けることには後ろめたさがあったのだが、『彼』が人から嫌われるような態度を取るのは不可解で(当人にしてみれば普通の態度なのだろうが)日に日にその態度が不快なものになっていくのはどうしてなのだろうか、と我ながら不思議に思った。

 

「いじめられている」と感じる者は卑屈形質が育まれ、余計にいじめられるようになると聞くがそのようなものだったのかもしれない。

 

『彼』をみかけたり、『彼』がなにか行動を起こしたりする度、襲ってくる不快感に悩まされながらも、この不快感は『彼』にとっても、僕らにとってもクラス替えまでの辛抱なのだろうと思うことにしたのである。

 

私は結局3年間同じクラスで不快感は払拭されなかったのだけど…。

 

考察

中学2年生、3年生のクラスでも、彼は馴染めていませんでした。私は中学3年生の時に学級委員長になってしまったので、ある程度は彼にクラスの一員として活動するよう促さねばならなかったのですが、それがとても難しいことだったと覚えています。

 

クラス内でのグループワークの際に、話し合いに加わらずに受験勉強をしていたり(それで担任からおしかりを受けていましたが…)、「結局自分の意見は通らない」と嘆いてどこかへいってしまったり…。

 

なお、留守電の件については彼からの謝罪はなく、お互いに一度も話題にすることはありませんでした。