結婚することも育休をとることも夢にも思わなかったあの頃

大学時代に書いていたブログ記事をリマスター及び考察しながら載せていこうと思います。恥ずかしい思い出や今より稚拙な表現等ございますが、ご容赦ください。

ちょっとよくわからないんですけど、社会人2年目の私、これの意味教えてもらえますか?

社会人2年目

 

実は、この通称「ヤングトニー」ブログはYahoo!ブログで書いていたブログが元ネタです。当初はわけわからない記事は放置して、リマスター及び考察するつもりはなかったのですが、Yahoo!ブログが2019年12月にサービスを終えるとのことで、わけわからない記事もこちらに移していこうと思います。

 

 

 

わけわからない社会人2年目

ということで、これまでもわけわからない記事はあったのですが、なんとなくその時のことを思い出すことができたので、背景を説明することができたと思っています(レビューものを除く)。

 

しかし、今回の2記事は何のことだかさっぱり失念している為、書いた当人でさえ理解に苦しむものです。ゆえに、読者の方も理解に苦しむのだと思うのですが、ひとまず載せさせてください。

 

冬の私

2009.1.25(日)

 

探究心は減退し、他人に対する興味が失せた。今はそこにあるものを許容、もしくは認知するだけ。

 

途端、「あのとき」知りたかった情報が多々集まったが、今の私にとっては、苦しめられるだけのものばかり。

 

持ち込まれる相談事も、増え。オブラートに包むことに苦心するだけ。適当に聞いていないように上手な相槌をうつのは、結構な技術がいることなんですよと、相手に言えるわけもなく。勿論、言う必要はなく。

 

でも、見えてしまうのだ。その人が自分の分からない部分で何を欲していて、本当は何が突っかかっているのか。だけど、それを言って何になるというのだろう。私が分かっても相手が分からないとどうにもならないし、そもそも、どうなろうとどうだっていいのだ。

 

私のアドバイスのせいで、うまく転がらなくなったと思われるのが、一番困る事態なのだから。

 

相手が、自分の決めたことでどう転がろうが、どうだっていいのだ。人には自分の決めたことに対して、覚悟を持ってほしい。望むのはそれだけ。

 

 

書いてるほど、ドライではなくも、最近、冷めてるなと思うのです。人や物事に対する興味のシフトがまったく入らない。季節的なものもあるんだと思いますが。

 

それはそれで受け入れようとする。そういうものなんだと。そこから自分に何の影響があるのかは考える。

 

悟るか。

 

満足と枯渇と

2009.3.9(月)

 

満足してしまった。困ったことに、満足してしまったのだ。

 

満足してしまったらば、アイディアとイメージが枯渇してしまった。由々しき問題である。

 

本当に言いたいことは、1行分ぐらいしかなくて、それに辻褄をあわせるように、文章を紡いでいる。

 

その文章を紡ぐ作業から生まれるイメージが、文章をこんがらがらせたり、思わぬ主題をうんだりしていたのだが、最近は迷路の中から正解のルートを探すような気分になる。

 

そのせいで、なかなか文章が書けなかったり、かなり時間がかかったりしてしまう。

 

さらには、もう書かなくてもいいやと満足してしまっている自分がいるようで、書いた記事を志半ばで断念するときもある。

 

その、満足の原因は多分、アレなのだろう。

 

つづく

 

考察

冬の私は、そのタイトルも意味不明ですし、誰に対して向けたものなのかも分からない、迷子記事です。思い出したら解説をしようと思います。

 

満足と枯渇との「アレ」もよく分かりません。一体、何なのだ…。