2010.8.29(日) 社会人4年目
横浜駅から家への道程に、長い坂道がある。 最寄り駅は横浜市営地下鉄の駅(三ッ沢上町)なのだが、辿り着く時間がたいして変わらないので、買い物に行くときなどは運動がてら横浜駅周辺まで歩いていくのである。
坂の途中
今日も横浜で日用品の買い物をした後、その長い坂道を上り、我が家を目指した。 今日も茹だるような暑さが続いており、「追い求めた琥珀色に輝く秋は何処!?」と叫びたくなるのを堪えながら一歩、また一歩と足を動かす。
坂道の歩道は人2人分の幅しかなく、時折電信柱が歩道の幅を1.5人分程度に狭めている。進行方向におじいさんの姿が見え、このまま歩いていくと、その電信柱のある場所ですれ違うことになるなと思い、少々歩幅を緩めた。
そうして歩いていくと、おじいさんの様子が少し変であることに気づいた。どこか、心此処にあらずの様相をしているのである。
声をかけられる
不審に思いつつすれ違った後、そのおじいさんに声をかけられた。不審に思った人に声をかけられるという不意打ちを喰らった私は、警戒心を最大限に引き上げ振り返った。
少々困ったような顔で私に話しかけてきたおじいさんに対し、私はかなり困った顔で話を聞いた。
最初は道でも聞かれるのかと思ったのだが、それ以上の要求が私を待ち受けていた。おじいさんの話を要約すると次のとおりである。
渋谷から来て財布を落としたので帰りの運賃を貸して欲しい。
少額ではあるが…
その運賃、290円というのがまた微妙なところである。
警戒心が最大値で緊張していた私は、坂を下ったところに警察署があるとか、駅員に事情を説明すれば貸してくれないことはないとか、そんな考えは思い浮かばなかった。唯一思い浮かんだのは、最近読んだ小説『砂漠(伊坂幸太郎 著)』の「目の前で困ってる人を助けりゃいいんですよ!」的な言葉だった。
お金を渡すことにした
西嶋(砂漠の登場人物)に感化され、私はおじいさんに300円を手渡した。すると、おじいさんはペンを取り出して、「借りたお金は郵送する」と言い出したのだが、住所を教えることに対して警戒していたのと、300円で郵送してもらうのも悪い気がしたので、その申し出を断った。
傍から見れば「困ったときはお互い様」の親切心なのであるが、実際は殆ど警戒心からの行動であった。おじいさんは甚大なる謝意を私に向け、深々とお辞儀をすると坂を下っていった。
もやもやしている
小額であるし、詐欺ではないと思いたい。きっと財布を落として傷心でパニック気味だったのだろうし、挙動不審だったのもそのせいだろう。
家に帰ってからおじいさんに対し、警戒心や疑念を抱いてしまった自分を少々恥じた。親切心を裏切られる事件ばかりの世の中で、警戒心を抱かざるを得ない状況ってどうなんだろうとも思った。
考察
結局、詐欺だったのか詐欺ではなかったのかは分かりません。わざわざあの坂道でやるのは非効率だとも思いますが、その固定観念を逆手にとってやったのかもしれませんし…。
ですが、分からないのですから、「自分の行いが正しかった」と信じていればいいのではないかと思っています。この件に関して、その後の展開はなかったわけですから。「目の前の困っている人を助けることができた。」と胸を張っていいんだと思うんです。
なお、このお話で思い出すのは、詐欺確定の町内会費おじいさんですが、彼は堂々としていました。あれは慣れてたよな…思い出すだけで寒気がする。