2007.2.2 大学4年生
弟は高校3年生で進学を希望しています。すなわち受験生なのです。センター試験受験後、その自己採点の結果から受験校をセレクトしたようです。
そのセレクトした受験校が、泊まりがけじゃないと余裕を持って試験に挑めないようだな場所にある大学だったので、それに便乗して兄である私は同伴者として観光する計画を密かに立てていました。
(ちなみに、この計画を明らかにする前、冗談で沖縄の某大学を勧めてみたのですが、弟にぶち切れられました。そりゃそうよね。)
受験旅行
弟と一緒に受験校の情報を見てみると、受験校の大学生協が格安の新幹線切符+宿のパックを提供していました。「この値段であれば兄が出そう。お金の心配はいらないぞ」そう棒読みで諭しながら弟の受験意思を確認し、善は急げと申し込みを完了させました(遅いと高い宿になってしまうということもあるようでしたので)。
「兄に手配はすべて任せて、君は受験勉強に専念しなさい」と、神妙な顔で出かけていき、書店に観光ガイドを買い求めに行ったのは内緒ですよ。
申し込み翌日
しかしその翌日、学校から帰ってきた弟は受験校を変更したいと申し出てきました。旅行に行けなくなるというショックもありましたが、ここでは書きませんが、その受験校の変更理由の方がショックで、なんとも言えない気持ちでその申し出を承諾しました。
取り消し手数料1050円かかったのもショックですが、それよりも大きなショックだったな。弟よ、それでいいのかい本当に…。
考察
弟はそもそも地元の大学に行きたかったようなのですが、センター試験の結果が思わしくなく、別の大学を検討せざるをえなくなったのでした。
最終的には地元の大学を受験したものの合格することは叶わず、一浪したあと隣県の大学を受験して合格し、その後その大学のある県にある企業に就職し、現在もその県に住んでいます。
この時の私のショックに関しては記憶ベースになりますが、地元の大学に行きたかった理由が「友人が行くから」だったため、自らの将来や学びたいことよりも「友人」の存在を優先したことにショックだったのだと思います。私には「友人」が少なかったこともあり、その「友人」を優先する価値観が理解できなかったのです。
ただ、「そういった価値観もあるのだな」と受け入れられなかった、当時の自分の頑なさや未熟さというか頭の固さといったものもわかり、当時の自分に少し恥ずかしいような気持ちも感じるエピソードでもありました。
ちょっとは丸くなったのかもしれない。