結婚することも育休をとることも夢にも思わなかったあの頃

大学時代に書いていたブログ記事をリマスター及び考察しながら載せていこうと思います。恥ずかしい思い出や今より稚拙な表現等ございますが、ご容赦ください。

姓名判断で晩婚推奨との結果がでたあの頃。

2011.6.12 社会人5年目

 

20代後半に入ってきたので、地元の知り合いや友達からの結婚報告が増え、会社の人も結婚の噂がちらほらしている。

 

「私も少々焦った方が良いのだろうか?」と思いを馳せたのち、巷で話題の姓名判断で診断してみることにした。

 

結果は「結婚は晩婚が吉」と出る。

 

なるほど。

 

ついでに手相の結婚線も見てみると「かなりの晩婚」と出る。

 

なるほど。

 

どうやら焦らなくてもよいようである。

 

 

うらない

なお、結婚以外の結果は以下の通りであった。

人運:個性を活かす努力家。協調性に注意。

総運:野心家で勝負好き。波乱の人生を送る。犯罪傾向。

人運は当たってると思うが、総運は微妙である。当たってほしくない…。

 

意外性

高校の家庭科の授業で、結婚相手に求める条件を3つ答える記名式アンケートがあって、「意外性」と書いたのを思い出した。さほどウケを狙ったわけではないのに、大きな反響を呼んでしまい、戸惑った覚えがある。

 

あながち、間違ってない。

 

社会人になるといろんな人と食事や飲みに行くことがあるからか、今まで気にならなかった食事の作法が気になるようになった。別に注意して見ているわけではないのに、気づいてしまう。

 

これまで周りに食べ方が著しく汚かったり、箸の持ち方がおかしかったりする人がいなかったからなのかもしれない(無意識でそういう人を選んで人付き合いしていたのかも)。

 

私は食べ方が汚いと父に怒られる(怒鳴られる)ような環境で育ってきた。肘をついて食べたり、器に手を添えなかったり、箸の持ち方が悪かったりなどは即アウトだった。そこまで怒鳴らなくとも…と思うようなことばかりだった。

 

だが、社会人になって怒る意味が分かった気がした(さすがに怒りすぎだったとは思うけれど、その理由が分かったという意味で)

 

あまり行儀の良くないとされる食べ方を見ながら食事をすると、美味しくないのである。美味しそうに食べてるようにも見えないから。視覚的にストレスになるし、それによって気分が悪くなってしまう。

 

「だから相手に不快な気持ちにさせない食事の仕方を身に付けなさい。」という意味があったのだと思う。まあ、一番は当人が不快で「見てて飯が不味くなるんだよ!!」という怒りだったのでしょうが。

 

そんなベースがあるのと、神経質な性格も手伝って、最近とても気になってしまう。

 

「やっぱりこの人はこうか…」という落胆を感じることもある。「ええ、以外に汚い…」という驚きを感じることもある。げんなりしつつも表情には出さず、そういう環境で育ったなら仕方ないと諦めるようにはしている。

 

しかし、こうなってしまうと、心から食事を楽しめなくなる(それはそれは例外は多々あるけれども)。食事の作法だけに拘ってるわけではないが、それ以外の部分にもなんとなくズレがあって、それを含めてトータルで心から楽しめないのだ。

 

でも、もちろんその逆もあって「やっぱり、食事の仕方も綺麗なんだなあ流石っ!」と尊敬に似た感情が生まれることもあるし、「意外にお箸の使い方がお上手なのね。なんだかんだで結構しっかりしてるのね。」と、息子の相手を吟味する姑のような気持ちになることもある。

 

それはそれは嬉しくなって、楽しくなってしまうということもある。

 

自分のマナーにも気を配ることを忘れずに、お互いに最低限のマナーを持って楽しく食事できることが、相手と親しくなる上で大切なことだと思っている。

 

そうか。食事のマナーが無意識のうちに気になるってことは、無意識のうちに相手を吟味しているということか。どんどん、腹黒くなるな。

 

考察

その後、私は30歳で結婚をしました。30歳は晩婚なのかといえば、最近の傾向だとそこまででもないのでしょうか。

 

コロナ過になって、家族以外の人と食事をしなくなって、このようなストレス(そもそも感じなくはなってきていたけど)から解放されたのもよかったことの一つです。

 

こういった細かいことが当時ほど気にならなくなってきているのは、成長なのか単に鈍くなってきただけなのか。そのどちらもなのでしょうか?