2011.2.19 社会人4年目
中学から付き合いのある友達と飲んで、家に泊めて、若干の二日酔いを引き摺りつつ、
蕎麦屋に行って、カツ丼セットを頼んで。
こんなに幸せな気持ちになるとは、思わなかった。思わなかったろ?友人を蔑にしていた、当時の君は。
友人の話
私は友人が少なく、このブログを読み返すと友人Oぐらいしかいないのでは?と思っていたのですが、mixiの日記を見ると、それ以外にもいたようです。
本日は、そんな友人の話をまとめてみました。今回は考察はございません。
車の友人
「車を買った。」彼は私にそう告げると、車種や内装や将来の展望について嬉しそうに語った。この時点に於いて、それが次なる彼の告白の伏線になるとは全く予想だにしていなかった。
酒の席に腰を落ち着けた私と彼は、他愛ない酒席話に花を咲かせた。幾つめかの話題に於いて、彼は思いつめた顔でこう切り出した。「一度、車で及んだことがある」「いや、君、車はいかんよ」私は狼狽しこう切り替えしたが、彼は次の言葉を紡ぎだす。
「僕が望んだのではない。仕方なかったのだ」「仕方ないって、責任転嫁かい?そうか、君、それでワゴンを購入したのか」「いや、断じてそうではない。僕を信じてくれ、ワゴンにしたのもまったく関係がない」
慌てふためく彼に愛想を尽かした私は、「見損なったよ」と一言告げると荷物をまとめ、一人店を出て行った。その後の彼の行方は誰も知らない。
傘の友人
大男が雨の中を歩く。右手に薄黄色の児童用傘を差しながら。
その日、降り出した雨をしのぐ為、彼と私は100円ショップで傘を買った。彼は何故か薄黄色の児童用傘を選び、私の腹を捩れさせると頻りに私の傘を羨んだ。
「君、それは何処で見つけたのだ?」「見つけたもなにも、入り口の目立つところにあったのだ。君のほうこそ、どういう経緯でその傘を選んだのだのであるか?」「うむむ、如何如何。」
彼は自らの視野の狭さを恥じるような目をすると、お道化た様に勇み歩んだ。その姿、まさに滑稽であった。
雨が止み、傘を突っ掛けながら歩けぬ彼の姿は再び私の腹を捩れさせた。また、彼には告げなかったが、訪れた店の店員達が、彼の黄色い傘を見、思わず吹き出してしまうのを私は見逃さなかった。
無意識にコメディアンを演じてしまう彼は、本当に天才だとつくづく思うたのであった。そんな夏休み最終日。
或る友人
夏に生まれたのに、およそ夏男には見えない彼は、意外にも夏男なのである。かくような導入から夏のエピソードを語るのが、文章の礼儀というものだが、如何せん、彼の夏に関するエピソードが思い浮かばない。
それでも彼は夏男…ということにしたい。私は彼の秘密をたくさん握っているようでいて、実は彼に秘密をたくさん握られている。私が彼の秘密を暴露したならば、彼も私の秘密を暴露するであろう。それを恐れるあまり、あまり書けるエピソードが少ないのである。
彼に関して言えることは、「お道化のために人生の駒を進めてしまうことが容易にできる」人間であるということのみ。身体ならぬ、人生を張ったネタの数々は、その重みから聴衆を笑いを通り越して感動すらさせるほどである。
そんな彼も今日で25になった。最近、田舎で落ち着きだして、大学時代ほどの勢いがなくなりつつある彼だが、まだまだこれからも、人生の駒をあらぬ方向へ進め続けることを期待している。誕生日おめでとう。
或る友人オンザステージ
或る友人の雄姿を見に、練馬文化センターに行ってきた。何の部活に入ったか聞かされたときはシャレで入部したのかと思っていたのだが、4年間しっかり続けるとは驚いた。立派なものだと思う。
クラシックってもの凄く格好良いと思っているのだが、小・中・高は身近にありすぎたせいでクラシックなんてどうでも良くて、ロックミュージックやポップミュージックに興味が行いっていた。
しかし、この年になってああいう場に足を運んで改めて聞いてみると、そんじょそこらのロックやポップがもの凄く滑稽で陳腐なものに思えてしまう。音と思念の調和。すべてが整った配置。均整の取れた全体の動き。とてもいいものを見せてもらった。