結婚することも育休をとることも夢にも思わなかったあの頃

大学時代に書いていたブログ記事をリマスター及び考察しながら載せていこうと思います。恥ずかしい思い出や今より稚拙な表現等ございますが、ご容赦ください。

小学生のころ、教師に不条理な体罰を受けた話。

2005.11.20(日) 大学3年生

  

小学校の頃のことを夢に見ました。不条理を道理として受け入れていた時期。それに則っていればもしかしたらここまで苦悩していなかったのかもしれません。

 

高学年になればなるほど不条理を受け入れなくてはならないのですが、受け入れるなんて誰が決めたんだか、受け入れなきゃどうなるのか教えてくれないんですよね。

 

「自分で探せ」ってことなのでしょうが、裏を返せば教えられないということにもなるのでしょう。

 

小学生時代の教師たちはひどいもので、自分の都合ばかり押しつけられていた気がします。そんな教師を健気に正しいと思いこみ、必死に「いいこ」になろうとしていたあのころの自分を褒めてあげたら、どれだけ僕は解放されることができたのだろう。

 

「思い出は美化される」「今となってはいい思い出だ」と思うことはありますが、小学校時代に限れば、振り返るたびに悪い思い出になっている気がします。

 

 

体罰の思い出

僕の通っていた小学校は、各学年1クラスずつしかない小さな学校でした。1学年平均25人。自然に囲まれた、典型的な田舎の小学校でした。

 

小5の頃の体育の授業のときの話です。その体育の教師が(今振り返ると)問題のある教師だったのです。気分屋で、できる生徒を優先させる性質を持つ教師でした。

 

その日の体育は「マット運動」をやる時間でした。僕はマット運動が苦手でとても嫌な時間だったことを覚えています。どうもうまくいかなくて…体を器用に動かせないんですよね。

 

僕はうまくできないままでも授業はどんどん内容が進んでいくのが、置いて行かれる感じがして嫌でした。その教師は、上手くできる生徒にはお手本としてやらせますが、できない生徒には、救済がないのです。

 

その時

そしてその時がやってきます。どんどん授業が進んで行ったのですが、僕はそこに至るまで殆どできなかったのです。そうして「その時」も失敗してしまい、マットから起きあがって列に戻ろうとしたとき、教師もの凄い形相で迫ってきたのです。

 

そして、教師が僕の目の前に来た瞬間、教師の手によりマットに叩きつけられました。

 

何が起きたのか、さっぱりわけがわかりませんでした。わからないまま起き上がると、教師はまた僕をマットに叩きつけて罵りました。場は静まりかえっていたと思います。

 

僕は何がなんだかさっぱり分からないゆえ、一種のパニック状態になっていました。

 

なぜ?

教師は「やる気が感じられなかった」ので、僕の名前を呼んでいたらしいのですが、自分の所に来なかったため怒ってそのような行動に出たらしいのです。

 

あとで「いつ、呼んだのか?」と同級生に問うたところ、僕がマット運動をしている最中だったそうです。

 

マット運動をしている最中は、集中しているし、前転したり後転したりしているわけですから、聞こえにくい状況になっているはずです。だから聞こえなかったとしてもおかしくないと思うのです。暴力を振るわれるほどのことでもないはずなのです。

 

叩きつけられた僕は泣きじゃくっていました。痛みとパニックと悔しさ。憎しみももちろんあったと思います。

 

抵抗

教師に罵られる中で泣きながら抵抗しました。いつも抑え込んでいた感情が爆発し、うまく言葉にできないながらも「いつも、できる奴ばっか!!(で、できない奴らにはダメだというだけでなんにもしないくせに)」と叫んでいました。

 

その抵抗に対して、火に油を注ぐがごとく一瞬で教師の顔は真っ赤になりました。そして平手が僕の頬めがけて飛んできました。

 

再度マットに沈む僕。

 

授業が終わっても罵られつづけました。そして泣き続けました。次の授業のチャイムが鳴ると、教師は「次からはちゃんとやるんだぞ」のような意味の言葉を吐き、体育館から去っていきました。

 

その後、遠くから見ていた同級生(確か2人)が僕の元に駆け寄り声をかけて慰めてくれましたが、慰めてもらえばもらうほど涙が止まらなくなってしまうもので「だいじょうぶ」を繰り返し先に教室に帰ってもらい、必死に泣きやもうと、落ち着きを取り戻そうとしていたのを覚えています。

 

次の授業へ

涙がとまり、落ち着きを取り戻したところでゆっくりと教室に戻りました。次の授業が始まっているわけですから、担任に遅れた事情を説明しなければなりません。

 

教室の扉を開けると皆が教科書(もしくは問題集)の問題に取り組んでいました。僕は担任のもとに行き事情を説明しようとしました。すると担任は怒った顔で僕をにらみつけました。何を言われたか一語一句覚えてはいませんが、

 

「お前が遅れてくることで、どれだけ私に迷惑がかかってると思っている?その件関しては怒られることをしたお前が悪い。謝りに行って来い。」

 

といった内容だったと記憶しています。

 

その担任も問題がありありの担任でした。気分屋でヒステリーを起こす。また、見苦しい体をしており体罰を与えることも厭わない、最低な教師だったと記憶しています(記憶ですので多少実物と差は生じるでしょうが)。

 

担任もひどかった

僕はその担任に過去幾度となく不条理なことを言われたり、する必要のないことなどをさせられましたがそれも、自分がすべて悪いのだと思いこみ担任に従っていました。

 

「先生の言うことは正しい」

 

学校って知らず知らずのうちにそう教わるものではありませんでしたか?それに素直に従った哀れな犠牲者達はどれだけいるのでしょうか?

 

その後、僕は、担任に連れられ謝りに行きました。

 

親にも言えず

なお、親にはこのことを伝えませんでした。自分は悪いことをしたという思いから、親に言えばまた怒られると思っていたからです。

 

誰かの救いがあったなら、もっと自由に言葉を発することができたのでしょうか?それともどうあがいても今の自分になったのでしょうか?

 

その後、同級生が声をかけてくれたおかげで、当時としては笑い話ですませられるようになりましたが。

 

おかしい

 

その思いは消えることはありませんでした。

 

考察

未だにこの時のことは、何故怒られたのかが分かりません。ショックで記憶が抜け落ちたのか、本当に理解ができなかったのか。

 

小学生の頃…、それは20年も前の記憶になるので仕方がないのでしょうが、いい思い出がありません。不幸せではないけれど、自分だけではどうにも幸せにできないようなことが多かった気がします。