今週のお題「母の日」
2007.9.25(火) 社会人1年目
その頃僕は何も生きがいが無くなっていたから、夜が更けるまで眠り続けていた。
aftermath
お金があって、時間があって、いくらでもやることは見つかるはずなのに、なにもやる気が起きなかった。面倒だった。
寝たかった。眠りたかった。眠れた。だから眠った。
ひとつひとつ紐解くうちに面白みのあることは冷めていき、眠気は魅力を増す。
夢のように、インスタントで興味をそそられる物を欲し、すぐさま消えて無くなってしまうものに惹かれ、言葉通り夢見た。
ただし、家族に心配をかけるといけないからと、朝の仕事の見送りと夕方の帰宅の挨拶は欠かさなかった。夕食の支度も欠かさず手伝ったし、勿論片づけもした。
その普遍さに泣けてきて、一人になると部屋に籠もってベッドに横たわり、涙を溜めて視界をぼやかしたりした。
自分に生きがいが無くとも、それは自分の勝手で、人の日常を悪方に変えてはいけない。そういった考えも少しはあったのだろうけれど、「家族だからこそだよなぁ」と。しみじみ思ったものだった。
精神的に大きなストレスを受ける度に、家族のありがたさを実感する。
他のものに心を奪われているときは、嘘を付いたり、約束を反古にしたり、おざなりにしてしまったり、もう、どうしようもないくらいの態度を取ってしまうのに、
戻ってきたら許してくれるのである。
そんなことを、病院帰りの電車の中で考えていた。
もしかしたら、僕は親より長く生きられないのかも知れない。ただ、1日でも1時間でも1分でも長く、親より長く生きたいと強く思った。意識を持って。
脳が侵されているようです。。
ママ
男は生まれたときから、母を捜し求める旅に出る。その宿命に抗いつつも、それは否定できない事実なのである。
生まれたときから母親は、自分のモノではないのである。自分は母親のモノであるけれども、母親は自分のモノではないのである。
だからマザーを求める。恋人にマザーを求める。かの、ジョン・レノンもヨーコにマザーを求めた。
逐一報告したいのだ。逐一報告して、甘えたいのだ。逐一報告して、何か養護の意見が欲しいのだ。
けれども男というモノは見栄っ張りで母性を求めて何が悪いと、開き直れずに、突っぱってしまう。
それを見透かしてくれる母性を持った女性が、その人にとってのマザーなのである。あの、優しい瞳で見守って欲しいのである。
何かを打ち明けたいと何かを褒めて欲しいと、何かを叱って欲しいと、そう願ってしまうのはいつも願ってしまうのは、やはりマザーなのである。母性なのである。
だのに。
悲しいかな、マザーは減っているのである。マザーになりたくないのである。女性もマザーを求めてしまうのである。マザーを放棄するのである。
このままでは如何。
考察
大学4年生で就職が決まり、残りは卒論を書くだけになったころは、だいぶ怠惰な生活を送っていました。昼夜逆転生活を送りながら「何をやっているのだろう?」と何度思ったことか。
就職のために家を出ていくことを決めたものの、親にずっと甘えていたい気持ちもあって、それを許容してもくれそうな感じがしてつらかったなぁ…。
しばらく一人暮らしを続けたら、だいぶ薄らいできましたが。
そして、マザコン。私はマザコンではないとは思っているのですが、果たしてどうなのか。