結婚することも育休をとることも夢にも思わなかったあの頃

大学時代に書いていたブログ記事をリマスター及び考察しながら載せていこうと思います。恥ずかしい思い出や今より稚拙な表現等ございますが、ご容赦ください。

『人に好かれる話し方』を読んで、やさしさについて考える。

書評日:2005.8.9(火)

 

僕らはやさしくされたいと思うし、やさしくしたいとも思う。そんなことも忘れてしまうんだそうだ。

 

 

人に好かれる話し方 

 

最近こんな事ばっかり書いてる気がするので  そろそろ飽きられてくるかも知れませんが、今回もひとつよろしく。

 

やさしさとは? 

 

やさしさってなんだろう? 本当のやさしさ。人にやさしくされたとき、疑いから入ること、多し。なぜなら「やさしさ」が分からないから。人にやさしくすることが分からないのも当然の帰結です。

 

では、どうしたらいいのか。 なにが大切なんだろうか。

 

当たり前のことですが、「当たり前だと思っちゃいけない。」そう思ったら堅くなっていくこと間違いなし。当たり前だと言って、身を固めに入っているわけですから。

 

有り難いことを探すこと。何かをされたときに、当たり前と思わずに、有り難いことがどうして自分の中で当然のことだと思ってしまうのかを考える事が大切だそうです。

 

ありがとうの意味

 

「ありがとう」という言葉は「有り難い」という言葉の意味を含むらしいのです。すなわち、「有り難い」ことをしてくれたから「ありがとう」と言うそうです。

 

「ありがとう」という言葉の意味を確かめること。 それだけでもやさしい気持ちになれるのだと思います。

 

それではそれをふまえて 3つのやさしさ(思いやり)について論じましょう。

 

一つ目のやさしさ

 

自分がされて嫌なことを他の人にはやらないこと。

 

自分がされて嫌なことは、誰がされても嫌なことだと思う心。配慮という名の思いやり。

 

二つ目のやさしさ

 

自分がしてほしいことを相手にしてあげること

 

自分がしてもらって嬉しいなと思ったこと、場面により些細な要求が出るときがあると思います。そんなとき、隣に立っている連れの人も同じ要求を持っているんじゃないかなぁ?と思う心。

 

これは、おせっかいになるかも知れない…という心が働くものなのですが、「かなぁ?」という言葉で柔らかく聞く、もしくは行動で反応を見ながら、要求に対して応えてあげようとする心。

 

行動をするので、形になって表れる優しさです。しかし「やってあげてる精神」だと、やってもらっても嬉しくないことを認識する必要があると思われます。一つ目の優しさに反することになってしまうからです。

 

「あなたのためにやってあげてるのよ」と言われても、快く受け入れられないと思うからです。

 

だから、「かなぁ?」が大切な要素だと思います。まずは当然だと思わずに、それが正しいか考えてみる。疑ってみる。その心を持つことも大切な要因だと思います。

 

 

たとえば 

 

 かき氷をトニーさんがお友達が買って食べていました。  食べているとトニーさんは、手がベタベタしてきました。食べている途中で、持っている容器の部分にシロップが垂れてきたのです。

 

隣を見ると友達も同じような状況に陥っているようです。「うーん拭き取るものが欲しいな。そういえばティッシュ持ってたっけ」トニーさんは、ベタベタしていない手でポケットからティッシュを取り出して手を拭きました。そして隣の友達にも差し出してあげました。

 

「はい、使う?」(ここでかなぁと思う必要性を問われると疑問ですが、「はい」と言って差し出すのみとあとに「使う」という「かなぁ」がつく語尾を入れることでかけた言葉が柔らかくなると思うんです)

 

「ありがとう」 友達は差し出されたティッシュを使いベタベタした手を拭いましたとさ。

 

例を使い間違えた気がする…

 

3つ目のやさしさ 

 

3つ目のやさしさは 相手がしてほしいと思っていることをしてあげるやさしさ。

 

2つ目と違うところはそれがその場で自分の要求と重なっていないこと。相手本位な考え方というところです。奉仕の精神と似てるけどちょっとは違うものなんでしょうね。 この人のためにやってあげたいなという思いやりです。ただそれは、葛藤の中から生まれるものだと思うんです。

 

自分がこんなことやって、恩着せがましいなと思われたらどうしよう…。ただのおせっかいになってしまうかもしれない…。それでもやってあげたい、どうしたらいいんだろう…。

 

2つ目のところでもいいましたが、やってあげてる精神じゃ駄目だと思います。嬉しくないです。「自分の為にやってくれてるんだな」と思ってくれて、ふんわりとしたあたたかい感情を相手に抱いてもらえると、自分も嬉しくなります。やってよかった、喜んでくれた。自分の心もあたたかくなります。

 

これが3つ目の優しさのつくりだす、「やさしい空間」だと思います。  結果として自分も嬉しくなるんですね。

 

補足

 

3つ目のやさしさは、自分が嬉しくなりたいから行動をするという動機から行動に移すと、うまくいかないのだと思います。ここが難しいところです。

 

結果としてそうなるであろうことを予測してやるとわざとらしくも見えてしまうという、負のニュアンスがつきまといます。しかし、予測してしまうことは仕方のないことにもなるのかもしれません。難しい…。

 

相手が嬉しくなってくれたらいいなぁ~ウキウキ  という心を持ってさえいればいいんですかね?

 

おわりに 

さて、皆様どのような感想を抱いたでしょうか?「そんなの知ってるよ、何を今更、記事を読む必要なんてねーし」「当たり前じゃん、そんなこと。言われなくても知ってるよ」などなど、「当然だろう」という意見が多いのではないかと思って、書いていてちょっと億劫になったのが正直なところです。

 

 

参考文献:人に好かれる話し方 和田 裕美 著 大和書房 2005年

 

おまけ 

 

この本に関しての感想を見ると、やはり批判が多いようですね。 「当たり前のことが書いてあるだけ」「初心者向け、知ってるから読む必要のないことばかり」

 

この手の批判に対しては著者は落胆するばかりだと思いますね。ここで毒を吐く必要があるのかわからないので言及しませんが。わかるでしょ?タテジクヨコジクでもっと言及しておげば良かったなぁ…。

  

「書籍でセミナーの文字オコシみたいなことをされても、なんだかなあという感じがします」こういうのなら、次につながる批判で著者もやる気が出てくると思います。

 

で、僕の批判  帯…

 

考察

無意識にできるようになるぐらいにトライして、定期的に自分の身の振りを見直すことでいい方向にアップデートしようとしていく姿勢が大切なのだと思います。

 

定期的に見直していかないと、どんどん「改悪」していく傾向があるよなと思ったのがこの10年で得た学びかなと思っています。