書評日:2006.8.9(水)
三月は深き紅の淵を
「三月は深き紅の淵を」という本を巡る物語、4章構成。恩田陸の最高傑作と言われる「麦の海に沈む果実」、およびその登場人物に関わる物語「黒と茶の幻想」に繋がる物語。今後この本から派生する物語が誕生すると思われる。
最終的には恩田陸流「物語カタログ」になるのではないだろうか。
1章は本が書かれる前の物語。2章では本が完成し、存在している状況での物語。3章は書くきっかけとなる物語。4章は書いてる途中の物語
それぞれが、同じ題名を持ちながらおそらく、作者も中身も違うものになっているのだろうか。しかし、それぞれ本に関する構想は一緒なのである。
つながりがよく分からない。いや、よく分からせないでいいのだろう。
恩田氏は、矛盾を生じさせて未消化なままに終わらせる作品と、矛盾を押し通す作品が多い。ここで世間での恩田陸に対する評価が別れるのだろう。
読み慣れると「そういうことなんだろう」で済ますことができるようになる。解明されぬものもあっていいはずだ、と。考える余地を与えてくれるのがいい、と。
しかし、この作品は読みにくかった。4章どれもが「三月は深き紅の淵を」という題名の本に関連があるものの、どの章もつながりがないのである。
「読んでる」というよりも読まざるを得ない感じがするのだ。何かつながりがあるはずだと、読む。つながりを探すために読まざるを得ない。
しかし、読み終わってからこう気づいたのである。「そういうことなんだろう」と。本の題名で繋がってるだけでいいじゃないかと。結局、こういう本なんだと受け入れるしかなかった。
どの章も短編として考えると読みやすい。ただ、どの章にも同じ名詞が出てくるというくくりで集めて短編集にされたのだと考えるのがいい。
多分、作者の狙いはそこにあるのではないだろうか?各章に繋がりを探す人を見てしてやったりと思いたいと。
ちなみに4章は「麦の海に沈む果実」の予告編みたいになっているので、読んで気になった方は是非、「麦の海に沈む果実」を読んでみてください。損はさせませぬ。
考察
昔のブログの記事を漁った結果、「麦の海に沈む果実」の感想はございませんでした。『最高傑作と言われる』とは誰が言っていたのかは定かではありませんが、この感想を書いた時点では、私は最高傑作だと思っていました。
今は「ロミオとロミオは永遠に」が最高傑作だと思っています。「大脱走」が好きなだけなのですが…(2015年あたりから新しい作品を読んでいないから、その時点までの著作の中でという条件付きですが。)
ゆえに、この『三月』に対する特別感は当時は凄かったのだと思います。あの「麦の海に沈む果実」の序章だぞ!と。これを読み解けないでどうする!?と。自分で自分にかける謎プレッシャーを感じた感想でした。