書評日:2006.8.8(火)
分身
自分がどちらの親にも似ていないことに疑問を持っていた氏家鞠子は、自分の出生の秘密を調べるために、生まれ育った北海道から東京へ出発する。初めて訪れる東京の街で、自分をテレビで見たことがあるという人に遭遇する。鞠子はテレビに出演したことなど無く、不思議に思うが…。
小林双葉はアマチュアバンドのボーカル。バンドがオーディション番組に出場することが決まったが、なぜか母親はテレビ出演を禁止する。しつこく警告する母親を無視しテレビ出演を果たすが、そのことによって彼女の周囲に変化が起こり…。
東野圭吾医学ミステリーシリーズ。ドッペルゲンガー、クローンのお話。
表紙からはダークなオーラが漂うが、それほどダークではない。やっぱり表紙で判断してはいけないや(笑)
これまで書かれてきたドッペルゲンガーものの物語の中で異色の部類に入るものだと思う。ドッペルゲンガーものといえば、出会ってしまったらどちらかが消される、というものであったり、自分がドッペルゲンガーに罪を着せられて復讐するものであったりと、ドッペルゲンガーとは敵対する物語が多い中、この物語はドッペルゲンガー同士敵対する物語ではない。
また、自然発生的に自分のドッペルゲンガーの存在を突然知るという形ではなく、医学的なものを根拠に、自分の出生をひもといていく段階でその存在を知るというもので、この物語がどのような方向に進んでいくかが非常に興味深く、本は厚いが(約460ページ)、だれた感じがなく、非常に濃密な物語を楽しめた。
終わり方はこれまで読んだ東野作品の中でも異例なラストだったが、すごくいい終わり方をさせたと思う。少々、あっさり片づいた感はあるが、あの流れからならいいと思う。本当に斬新なドッペルゲンガー物語だ。
「変身」、「秘密」、「分身」と東野圭吾は医学の知識を用いてリアリティを出す。自分が素人だから納得させられてしまうのかもしれないが、付け焼き刃的な知識ではないと思う。
付け焼き刃的なものであったなら糾弾、批判されるのを恐れ、こんなに何度も使えないし、物語のテーマとして避けていきたいと思うはずだ。
東野氏は、物語の展開上仕方なく付け焼き刃的な医学的知識を使っているのではなく、そのことを伝えたいが為に、必然性を持って知識を物語に登場させている。難解用語を使いつつも、分かりやすく論理立てて説明してくれる。その試みが素晴らしい。
この作品では、自己という存在に対する問いかけを作者はしている。自分に語りかけているものとも思えるし、過去から現在そして未来を通しての永遠のテーマとして提起しているのかもしれない。
自分は何者なのだろう?自分は何ののためにうまれてきた?自分の存在価値は?自分は誰かに求められている?自分は必要?
誰もが必ず悩む、そして悩み続ける物事に答えが出るときは来るのであろうか?
そして、その解明のための一つの手段が日々進化し続ける医学であるのだが、東野氏は物語を通じてその使い方に疑問を投げかける。
なんのため?だれのため?
人は当初の目的を度々見失う。そして、必ず間違った方向に歩みを進め、人類に数々の厄災をもたらしてきた。
自分のしていることをことあるごとにチェックしてうまく技術を扱える(制御できる)ようにバランスを保たなければ、技術によって人間が滅ぼされることになるだろう。
非常に考えさせられる物語。涙が流れてしまう場面もあり、ハラハラする場面もあり、物語少し難しい感じも受けるが、退屈させない物語だ。
考察
当時の私は絶賛していますが、どんな物語だったかをイマイチ覚えておりません。絶賛しているのに覚えていないときは、だいたい「凄いとは思ったんだけど、全編通して面白くなかった(一部は面白かった)=内容をよく分かっていない」というときなので、少し信憑性は落ちる気がしますが…。再読してみたくなりました。
なんとなく、「自分探し」的な部分が気に入ったのかもしれません。そういうので悩む時期だしね、大学生って。