結婚することも育休をとることも夢にも思わなかったあの頃

大学時代に書いていたブログ記事をリマスター及び考察しながら載せていこうと思います。恥ずかしい思い出や今より稚拙な表現等ございますが、ご容赦ください。

父に突然「ドラクエ5を買ってやるよ」と言われて戦慄したときのことを思い出した。

2009.3.17(火) 社会人2年目

 

シュニンが私の不在時に、一個下の後輩にキレたという話を聞き、思い出した昔話。

 

人の話を聞くにつけ、その場に居たかったなぁとちょっぴり悔し(不謹慎ながら相当面白かったらしい。)

 

 

小学生の頃の話

確か、小学生の頃の話。田舎のデパート(なのか?)に家族で出掛けたときのこと。私が一人でゲームコーナーでゲームを物色していると、いつも怖い父親が穏やかな表情でやってきて、ドラクエ5を指差し、

 

「今度、これを買ってやるからな。」

「ゼルダの伝説みたいなやつだぞ。」

 

とおっしゃったのでした。

 

疑念そして戦慄

私は子供ながらに「ゲームソフトなんて、普段は誕生日やクリスマスにしか買ってもらえないのに、どんな裏があるんだろうか…?」と訝しみました。

 

とにかく記念日以外には、欲しいものを買ってもらえないのがその頃の我が家のルールでしたので、素直すぎる当時の私はルールを遵守する形で遠慮したのです。そこには父に対する畏怖の念があったのも否めません。

 

私は小心で口下手な子供でしたので、たしか、「いい」という言葉でしか、遠慮の意を表せなかったことを記憶しております。

 

「いらないのか?」

「買ってやるぞ?」

 

父の念押しの言葉に対し、「いい」という言葉しか返せない私。その言葉で遠慮するたびに語気が強まる父。

 

そうしてとうとう、父は「じゃあ、いいよ!!」

 

と、怒気を表し去ってしまったのでありました。むしゃくしゃして去る後姿が記憶に残っております。

 

「父を怒らせること=悪いこと」という方程式が成り立っていた当時の私は、気まずい帰路の中で相当後悔したのでした。

 

その数日後

そして、数日後だったか数週間後だったかそれは定かではありませんが、何かの折、母に呼ばれて居間に向かうと

 

「お父さんが買ってくれたわよ。」

 

と、SFCソフト「マリオペイント」を起動して、母が待ち受けておりました。確か父はそのとき仕事か何かで家にはおらず、父の帰宅後に謝意を表したのを覚えております。

 

不器用な父

このことは、なにかしらの臨時収入かそれに見合った行いを私がしたことによる、褒美めいたことを父が私にしたかったと解釈しておりますが、振り返ってみるに「当時の父はなんて不器用なんだ!!」と思わざるをえません。そこで癇癪おこしてどうすんねん!と(笑)

 

しかしながら、ドラクエ5もマリオペイントのどちらも興味が無かったのはそれはまた、別の話。

 

ちなみにこの当時、ゲームソフトに対して父も母も「ゼルダの伝説みたいな」という形容をことあるごとに使っていらっしゃいました。「いや、絶対違うだろう」とつっこみたくなったことが何度あったことか…。

 

あ。ドラクエ5は買ってもらわなくてよかったと思います。だって、SFC版はセーブデータがすぐに消えてしまうんでしょう?

 

考察

小学生から中学生時代は、父とは基本的に絡みたくありませんでした。うまく話せなければ怒られる、一言間違えば怒られる、何かすると怒られる…そんな状況でしたから、父の前ではとにかくおとなしくしていることしかできませんでした。おとなしくしているとおとなしくしているで怒られるんですけど(笑)

 

だから、父が残業してくれるとそれはそれは大変うれしく、夜勤の日などはほとんど顔を合わせることがないので最高でした。「亭主元気で留守がいい」の恩恵を一番受けていたのは私だったのです。

 

今振り返ってみれば、父は相当不器用だったんだと思います。だから暴力をふるって許されるってものでもないですけど、なんとなくその未熟さがわかるというか、あの頃の父の年齢に近づいてきて「こういうことを感じていたのかもしれないな」ということを思うようになりました。

 

丸中醤油を試してみたら美味しかったので父の日に贈りました。卵かけごはんにかけると絶品らしい。 - 1年間育児休業を取得した30代前半男性の日記

 

今では父も丸くなったし、普通に話せるようになったわけですが、それを父と語らおうなんて気はさらさらございません。恥ずかしいし。けれでも私はああはなるまいと、子どもに対してもっと分かりやすい大人でありたいなと思ったのでした。