結婚することも育休をとることも夢にも思わなかったあの頃

大学時代に書いていたブログ記事をリマスター及び考察しながら載せていこうと思います。恥ずかしい思い出や今より稚拙な表現等ございますが、ご容赦ください。

『いつでもいいよ』は『いつでもよくない』。自分にも相手にも優しくない。

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2006.9.21(木)

 

時間にルーズな人や、計画を上手くたてられない人には特に『いつでもいいよ』は禁句です。

 

 

いつでもいいよ 

相手に対して不親切な譲歩をしてしまうことがある。

 

いつでもいいよ

どこでもいいよ

なんでもいいよ

 

当人(自分)としては「無意味な優しさと譲歩」の念が先行し言ってしまう、「癖」となった言葉達である。最近は専らこの言葉達を使うたびに自分に嫌気がさす。

 

使われた相手してみれば、嫌がらせ以外の何者でもない。日本人は、選択することが苦手なのである。それなのに、この言葉達は数え切れない選択肢を与えてしまう。

 

だいたい『いつでもいいよ』は可能日ギリギリになり(ギリギリになるまで指定連絡が来ない場合多し。)

 

『どこでもいいよ』は場所に対する下調べが不十分になり、喧嘩を招く。

 

『なんでもいいよ』は主に食事処(内容から規模まで)を選ぶときに使われるが、選択肢が多すぎるため、次々と店を通り過ぎる→空腹でイライラが募るになる。

 

今回の旅行の事前打ち合わせ日も『いつでもいいよ』と言ったがために出発日の前々日になってしまった(苦笑)。

 

相手を苦しめぬようせめて三択ぐらいにまで絞ってあげようと思ってはいるのだけど、なかなか習慣化されないものです。

 

考察

この時から10年以上たった現在、これらの言葉は殆ど使わなくなりました。仕事するようになって「期日」を学生時代より意識するようになったからかもしれない。

 

また、譲歩する自分がほとほと嫌になったので、決めるようになったというのも大きいのかもしれません。これが食べたい!ここに行きたい!今行きたい!明日行きたい!と思ってなくても思ってしまう。それで具体的な代替案が相手から出てきた場合には譲歩するようになりました。

 

そうすると、これが嫌いだったんだ!意外とこれが好きだったのか!と自分でも知らなかった一面が出てくるので面白いなと思います。

 

本編に関しては、中高の同級生と北海道旅行に行こうとして相手の優柔不断さに辟易したときの愚痴です。彼からは昨年わけのわからん相談を受けたのですが、いったい何だったのだろうか。

 

友人から突然「SNSのアカウントを消したいんだけど」と相談を受けた話。

 

まあ、たまにある分には問題ないんですけどね。