2008.1.22(火) 社会人1年目
下北沢のスタジオにて
常に右足が8ビートを刻んでいたので、バスドラムが1小節に8度その低音を響かせた。グルーヴなんてあったもんじゃないが、これでも進歩した方だろう。
モンローTを着た青年はそう思いながら、曲名が思い浮かばない日本人の曲のドラムを叩いていた。
最近はギターを弾くより、ドラムを叩いている方が楽しくなってきているらしい。抑圧してきた暴力性の目覚めか、はたまた、肉体を虐め抜くストイックさへの憧れか。おそらく後者の方が色濃いのであろう。
ギターを弾くドラマーと、ドラムを叩くギタリストのセッションは、僅か1時間で終わってしまった。
個人練習はバンド練習予約の空いた時間にしか入れる事ができないため、彼らは1時間しかセッション時間を確保する事ができなかった。さすが人気のスタジオといったところか。
ジミー・ペイジへの言及
モンローTシャツを着た青年は。セッションする度に演奏が下手になると感じているらしい。「ああ、僕はまるでジミー・ペイジだな」と、どこぞのギタリストの言い訳めいた言葉の模倣をする。もともとは上手かったジミー・ペイジとは似ても似つかないが。例えるなら、ジョージ・ハリスンの方がよかっただろうに。
ジョージ・ハリスンへの言及
勿論、ジョージ・ハリスンの演奏をけなしているわけではない。ジョージの奏でるギターは唯一無二のものだ。独特の音色と絶妙なストロークタイミング。あれは真似しようとしてもできない。正確なピッキングと正確な運指を練習していく者達にとって、普段タブーとされる「型に乗らない奏法」は、非常に難しいものとなるのだ。かといって、その型にはまる前の段階のビギナー達でも出す事はできない。そして、それが何故かも分からないのだ。
まさに無我の境地とでも言おうか、それがジョージ・ハリスンのギターである。
口先だけの男
モンローTシャツを着た彼は口先だけで「唯一無二の者になりたい」と言う。しかし、他の者の模倣ばかりでは唯一無二になれるはずはない。
彼は模倣からすべてのオリジナルが完成すると信じていて、あらゆる模倣をミックスさせる事で、自分が完全なる唯一無二になるという馬鹿げた到達点を描いている。
しかし、模倣されるものは模倣をしたものであるから、所詮、模倣からはオリジナルは生まれないはずなのである。
そのことは、彼の胸のマリリン・モンローが示しているはずなのに。ああ、気づけない愚かさよ。
結論
話が逸れた。つまりは、楽しかったのである。
考察
マリリン・モンローTシャツはいたるところで活躍していますね。
私が大学時代に通っていたスタジオは3畳ほどしかない狭くて汚いスタジオだったので、都会のスタジオのきれいさと設備の良さには驚いたものでした。そこで弾くアンプを通したギターも気持ちよかったのですが、ドラムを叩くことにこの上ない快感を見出せたのもこの時期でした。
ただし、壁にぶつかると嫌になるもので、これ以降「ドラムを叩くこと=自分の下手さと向き合う」ことになり、この時以上の楽しさを感じることはありませんでした。
ギターも退化する一方ですが…。