2005.11.1(火) 大学3年生
ある友達のお話
それはそれは
だいぶ
むかしのはなしになるかな
本編
その日は友達が家に遊びに来ていました。どうやら僕を心配して会いに来てくれたようで、僕は嬉しくなってお酒を振舞ったのでした。
宴
その日振舞ったお酒はウイスキーでした。僕が普段ゲームを肴にして飲んでいた安物ですが、安く酔えるので重宝していたのです。ただ、その日は調子が良くなかったようで、一口飲んでみたところで今日は飲めないと判断し、そこからお茶に切り替えました。
僕がお茶をコップに注いで戻ってくると、友達がウイスキーの瓶を一気しだしたところでした。一体、何をやっているのだ!?と僕は混乱しました。
僕「やめろよぉ…、おまえ大変なことになっちまうぞ!」
友「俺はどうなってもいいんだよ!!!」
僕「そんなこというなよ!」
友は瓶を取り上げようとする僕の手を払いのけると、そのままウイスキーを一気飲みしてしまったのでした。空になった瓶をテーブルの上に置くなり「あとはまかせた…」と、謎の言葉を残し、友はその場に倒れこんでしまいました。
倒れた友
倒れた友を目の前にして僕はどうしたら良いかを考えていました。もしかしたら急性アルコール中毒になっているのかもしれませんから、救急車を呼ぶべきか否かの判断に迷っていました。
すると突然、友はうなりだしました。「お、救急車を呼ばなくても大丈夫かもしれない」と、僕がホッとしたのもつかの間、倒れこんだ姿勢のまま寝ゲロをしておりました…。友が倒れたカーペットにグラデーションのような新たな模様が生成されていく様をしばらく眺めたのち、平静を取り戻した僕は、彼をトイレに運び、残りを吐かせました。
部屋に戻ると汚物の湖が出来上がっていました。僕は涙が出るほど嫌だったのですが、救急車沙汰になるよりはマシだと思いなおすことにし、心を無にして片付けました。
一通りの片付けが終ったところで、トイレにいる友の様子を見に行ったところ、ぐったりしていましたが、きちんと呼吸をしていたので安心しました。僕は小用を足すためにひとまず友をトイレから部屋のベッドに運ぶことにしました。
ベッドに運ぶ
ぼくが「だいじょうぶか、ベッドまで運ぶからな」と声をかけると友は「う、うう」と呻くばかりでしたが、体を完全に預けてくれたので、運ぶのは意外と容易でした。
小用を終えると緊張の糸が少し解れるのを感じました。トイレでしばしの休息をしたのち、部屋に戻ると、友がうめいておりました。先ほど解れた緊張の糸を結びなおし始めると、友は僕のベッドの上で寝ゲロをし始めました。
最悪の日だった
友はその後、僕が全ての気力を失って炬燵で寝ている間に家を出て行ったらしく、翌朝僕が目覚めたときには、「寝ゲロだけがそこにあった」という悲しいオチでございました。
散々な一日でした。このあと、友が芸術的なグラデーションを施したカーペットは廃棄し、カーペットとお揃いのグラデーションが施された布団はクリーニングに出しました。このクリーニング代は貧乏学生には相当痛い出費だったのですが、それよりも部屋を元どおりにするための労力がかかったことで、僕は疲れ果ててしまい、大学に行く気力がなくなってしまいました。
この話を友に捧ぐ
この物語が「友」が「僕」になった気持ちで書いてみました。今不登校になっている「僕」に捧げる物語。なお「友」は悠々と大学に来ています…。
考察
なかなか卑怯な書き方をしていますが、本編の被害者(僕)=友人、加害者(友)=私ですね。
あまり大学に来なくなった友達の家に行ったら、ウイスキーをコーラで割って飲みながらのバイオハザードにハマってしまい、抜け出せなかったとのこと。それはそれでネタとして面白いけれど、さすがに大学には来ようぜ!っていうことで始まった酒盛りの話です。
私は本当にこの時のことは申し訳なく思っているのですが、彼は覚えているのでしょうか。。これにより、私はネゲーロブラザーズ(弟)になってしまったのですが、ネゲーロブラザーズ(兄)の話は別の記事にしてありますので、そちらをご参照ください。
ネゲーロブラザーズ(兄)の誕生
彼はその後、大学を一留し中国地方の実家へと帰っていきました。そして職業訓練校に通い、就職したものの仕事が合わず、何回か職を転々としたとのこと。
毎年、彼の誕生日にお祝いメールを送っていたのですが、今年は私がインフルエンザ&出産でドタバタしていて送り忘れてしまいました。
西日本豪雨の際には安否確認メールを送ったのですが、「まったく問題なかった」との返事があり、今年も連絡が取れて良かったと思った次第です。
大学の友人に誕生日メールを送る。毎年それだけの関係だけど、返事が来るとほっとする。
年に1度連絡を取るだけの細い付き合いですが、10年以上続けている楽しみでもあります。