結婚することも育休をとることも夢にも思わなかったあの頃

大学時代に書いていたブログ記事をリマスター及び考察しながら載せていこうと思います。恥ずかしい思い出や今より稚拙な表現等ございますが、ご容赦ください。

ずっと迷っていた。家に帰るまでには決めなくてはいけないのに。

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2007.9.10 社会人1年目

 

迷っていた。

 

電車の中で、2択は3択になり、3択は5択にもなった。家に帰るまでには決めなくてはいけないというのに。

 

思索道中

普段、さっぱり何も考えてなさそうな暢気さとなんでもすっぱりさっくり決めてしまえそうな陽気さを振る舞うのだが、真の心は迷いやすく、それでいて思索に多大な時間を用いるのである。

 

それゆえ、様々な決断事や相談事を頼まれ、快く受け入れ、迷わないための訓練をしているのだが、やはり、生まれ持った性分はなかなか変わらないのである。

 

これは自分のことなのである。自分自身のことなのである。他の誰にも相談できない思案から逃げるために、他の考え事をする。自分のことではなく、他の誰かのこと。

 

急な依頼

それは唐突に頼まれた。

 

さて、帰宅しようかと言うときに、隣の課長に声を掛けられた。同期の子が五月病になってしまったらしく、それをどうにかしてくれということらしい。

 

もちろん、報酬は弾むと言われ、ノリノリで請け負った。

 

メンバーから場所から日時まで、シミュレートし、おそらく、失敗しないプランだなと纏め上げ、あとは微調整だけだ。

 

 

逃避した時間は、思いの外短かった。気分転換にもならず、解決の糸口さえ見つからなかった。

 

車内のアナウンスが、降車駅を告げる。残された時間は少ない。

 

買い物をしながら 

帰るのが億劫で、寄り道をすることにする。降車駅は百貨店や商店が建ち並び、とても便利だ。ふらっとお気に入りのお菓子コーナーに立ち寄る。

 

考えるのを止め、しばし、陳列される商品に見とれるも、悩みが増えるばかりで、逆効果であった。

 

悩みは解決せず、地下鉄に乗り換え、家路につく。

 

決断の時

上り坂の途中。僕はここで決めなければいけないと思った。

 

下り坂の途中。どうして決められないのだろうと思った。

 

部屋のドアを開け、漸く決断した。

 

味噌炒めにしよう。

 

考察

前にもこんなネタがあったようなと調べてみたら、ございました。

 

young.tonymctony.com

 

似たような展開に似たようなサムネイル画像。このパターンにハマっていたのでしょうか?今回は単純にメニューが浮かばなかっただけなのね。

 

当時住んでいた横浜の三ツ沢の家に向かう途中には急な上り坂と下り坂があり、体力に自信があった私でも、4年も住むとさすがに嫌気がさして引っ越しました。それだけが原因ではないけれど、今考えるとそれも理由の一つだったなと。